「宝船展2021@アート長屋」にご来場いただきありがとうございます。
現在閲覧していただいている「SMFアート長屋」は、「文化庁 平成26年度 地域と共働した美術館・歴史博物館創造活動支援事業」を機に設立され、アートに関わる誰もが展示・表現できる「アートプラットフォーム」をオンライン上で展開する試みです。この長屋を場とする「宝船展2021@アート長屋」は、2020 年 10 月より 「埼玉県文化振興課オール埼玉で彩る文化プログラム公募事業」 の助成を受け、ウィズコロナ時代のアートを考える実践的な取り組みの1つとして実施します。
オンライン上の展覧会場には、一見すると「これはアートなのだろうか?」と戸惑うほどの多様な作品が展示されています。そして、この展覧会を訪れる度に、個々の作品の「展示されている場所」がランダムに入れ替わり、試聴する順序や関係性といった、キュレーションに欠かせない要素がない仕掛けとなっています。
私たちSMFは、キュレーションによるストーリーを追認するのではない、美術館やコンサートホールというフレームに収めることが困難な、創作・表現のプロセスや生活や仕事における創造的な活動を捉えるための装置として、2回のオンラインでの関連企画を含め、「宝船展2021@アート長屋」を提案します。
私たちは、美術館での展示やコンサートホールのプログラムを、多くの情報から取捨選択し、楽しむことができます。その取捨選択が、私たち自身の自由な意思に基づいてなされていることは疑う余地はありません。しかし、その「自由な意思」について、私たちは本当に自由であるといえるでしょうか。
私たちは現在、社会におけるアートの位置づけや役割が大きく問い直される状況に直面しています。美術館やコンサートホールにおける企画は、来場者数やメディアにおける話題性にその評価が委ねられています。私たちが「自由である」と思って疑わない「自由な意思」による取捨選択は、こうした話題性への共振ともいえます。こうした、社会的に構築されるアートの文化的な価値は、誰によって、何を目的として構築されるものなのでしょうか。
2020年3月以降の私たちの生活様式は大きな変化を求められました。ソーシャルディスタンスが求められる中、美術館やコンサートホール、ライブハウスは、文化的な活動を停止することを余儀なくされました。インターネットでの情報伝達方式に落とし込むための努力は、新たな表現の可能性の獲得につながるのかもしれない、という希望のもと、多くのオンラインによるアートイベントの展開が進みました。一方、このような状況は、文化的な活動の中心的な場であった美術館やコンサートホール、ライブハウスに「赴く」という行為を不可視なものにしました。
私たちが直面しているコロナ禍は、こうした「文化的な活動の中心」へのコミットという、ある種の儀礼的な場への参画という行為そのものを不可視化したといえます。その不可視化は、私たちがうすうす感じていた、アートの価値についての判断や基準に対する疑問を徐々に可視化し、現在あるいは将来に向けたアートと人々との関係性に大きな影響をもたらすことになるのではないでしょうか。
最後になりましたが、今回の展覧会に作品を出品してくださった方々に深く御礼申し上げます。